2024年振り返り ―ブラジルその②:G20サイドイベント どうする?偽誤情報問題と国際協調
では、約9時間にわたり、偽誤情報の問題について、世界中の関係者がディスカッションしました。イベント参加を振り返りその一部を紹介します。
イベント名「Information integrity」とは
イベントタイトルは、「Information integrity: Combating misinformation, hate speech, and threats to public institutions online」日本語訳をつけるとすれば、「情報の完全性~ オンライン上の誤情報、ヘイトスピーチ、公的機関に対する脅威との闘い」でしょうか。
日本語で"integrity"を訳すと「誠実性」「統一性」という言葉になるのですが、偽情報対策の文脈で使われるときは、情報が嘘でないこと、誠実であることを意味します。統一性という訳語は、"integrity"という語が、端から端まで変形していない、つまり完全性がある、というような意味を持つからで、「一貫している」ということは、「頼れる、本当である」、という意味を持つようになっています。日常表現としては「誠実な人(a person of integrity)」とか 「誠の心がある」(a sense of integrity)などがあります。もとはラテン語の「損なわれていない」という意味が語源となっています。キリスト教では、聖書の教えの中で”truth”とは別に、大切な美徳の一つとして扱われています。また数学・プログラミングでも使う語なので、情報社会と相性がいい、ということも少し念頭に置いておくとよいと思います。
これまでジャーナリズムでは、誤報に対して正しい情報を報道すべき、というときにAccuracy(正確性)という言葉が使われてきました。Accurateというのは、その報道している事柄が、捉えようとしている事実に対してズレていない、( ≒ Precision)という意味で使われていました。例えば、米国では、マスコミの報道の偏りや誤りをウォッチして、ジャーナリズムの倫理を促進するFairness and Accuracy in Reportingという有名な非営利団体があります。
メディアの歴史敵な発展において、黎明期はそうでなかったものの、徐々にジャーナリストという専門職が確立されていきました。プロフェッショナルとして持つべき8つの信条をウォルター・ウィリアムズが提唱し、その一つが「新聞記者自身が真実だと信じることを報道せよ」でした。その後、報道機関は信頼性を確立するために、報道関係者の行動規範となる倫理綱領を設置していきました。前文において「integrity」を個人が備えるべき美徳として含むことこそあれど、倫理綱領では、「正確」と「公正」が主だって取り上げられるのが一般的です。しかし、報道機関だけでなく、たくさんの人々が情報発信者になり、出所のわからないデマや偽情報が拡散するようになりました。さらには悪意がある人が、小遣い稼ぎ目的で情報拡散するようになったから、一層困ったことになっています。これらの問題に対して、正確性を追及しても、対応できないことから、新たに"integrity"という言葉が使われるようになってきたのだと考えられます。
なぜG20で偽・誤情報問題に焦点をあてるのか?
ここ数年、誤情報や偽情報は、民主主義を脅かす、世界的な問題として取り沙汰されています。しかし、わざわざ国際政治の、しかも、G20デジタル経済ワーキンググループで取り上げるような議題なのでしょうか。固有の議題になるのは、2024年は世界的に選挙が多いということ、そして、ここ数年の研究調査や議会などの公聴会を通じて、偽情報が選挙の行方を揺るがすことが明らかになってきたこと、AI偽情報拡散のスピードやスケールが増大し、プラットフォーム企業に対して、健全な情報エコシステムを求めるための法整備が進める機運が高まったことが背景として挙げられるでしょう。
ブラジルにとっては偽誤情報対策をする政治的な理由もあります。極右ボルソナーロ政権の誕生には偽情報の影響がありました。その後、政権交代を実現し、今にいたっています。特に、最近は、ボルソナーロ政権と偽情報キャンペーンとの関係性について、司法が切り込みを入れている最中でもあります。プラットフォーム規制に関して言えば、ホルヘ・メシアス司法長官が「ソーシャルメディアの規制は急務です。海外に住む億万長者がソーシャルメディアを支配し、法の支配を侵害し、裁判所の命令に従わず、当局を脅迫できるような社会で暮らすことはできません。社会の平和は譲れないものです。」と4月にコメントし、イーロン・マスクを牽制していました。
社会的・政治的背景を踏まえたところで、G20サイドイベントの登壇者の取り組みを紹介します。
偽情報キャンペーンを展開する右派大統領と闘った、2人の女性ジャーナリストによる対談
ブラジルのジャーナリストであるパトリシア・カンポス・メロと、フィリピンのジャーナリストマリア・レッサの二人が登壇し、SNS規制欠如の失敗をAIの進展にどう生かすかについて対話しました。パトリシアは『ヘイト・マシーン:フェイクニュースとデジタル暴力に関する記者のメモ』(2020年)という自身の著書で、ブラジルにおけるフェイクニュースの急速な広がりと、それが政治情勢に及ぼす深刻な影響について明らかにしています。また、パトリシアは、ジャーナリストとして、ボルソナーロ大統領と、マリア・レッサは、ドゥテルテ大統領とやりあってきた経歴があります。二人とも、偽情報を扇動する熱心なフォロワーたちから、大量の嫌がらせ、脅迫メッセージを受信した経験をもっています。SNSにおけるデマやヘイトスピーチの拡散を2010年代と早くから問題視し、批判的報道を行ってきた二人は、一定の傾向が明らかだったにもかかわらず、SNSがもたらすネガティブな影響は、長い間ろくに規制されずほとんど野放しになってしまったと振り返っています。マリア・レッサは、これから必要なアクションとして、次の三つを挙げています。
-
利潤のための監視を止める
-
プログラムに潜む偏見を止める
-
専制政治に対する解毒薬としてのジャーナリズム
ソーシャルメディアにデマや偽誤情報がはびこるようになったことについて、マリア・レッサは「報道機関がゲートキーパーとして力を失った」頃である、と話していました。また、現実では執行される刑事責任が、バーチャル世界で免責になるのはおかしい、としてミャンマーでのロヒンギャ虐殺にフェイスブックが関わっていたものの、責任を問われなかったことを振り返りました。
ちょっと細かい話になりますが、マリア・レッサは、ユーザの投稿した内容についてプラットフォームは責任を負わないものとする、アメリカの通信品位法230条は、無くすべきだという意見を持っています。確かに、ロヒンギャの事件についてフェイスブックがお咎めなしとなってしまうのは確かに通信品位法230条のせいで、それを取り払ってしまうべきだとも思えます。しかし、230条をなし崩しにしてしまうと、インターネットの自由やアクセス、あらたなITサービスの誕生に悪影響する懸念もあるなど、様々な見方があります。
ITで社会を変える アニタ・グルムルシーさんの講演
インドのバンガロールに拠点を置くNGO「IT for Change」ではデジタル技術が人権、社会正義、公平性に貢献する社会を目指し、民主的参加、コモンズ、社会正義、男女平等という倫理から公平なデジタル社会の実現にむけた橋渡しに取り組んでおり、国連経済社会理事会の特別諮問機関でもあります。創設メンバーで専務理事のアニタ・グルムルシーさんは、もともと多様なデジタル政策問題に知見のある方ですが、今回のパネルでは、インターネットにおけるジェンダーに基づくヘイトスピーチ、ネット上の暴力に関する問題について講演しました。(資料はこちら)。
まずは、ジェンダーに基づくヘイトスピーチをデジタルガバナンス上の重要な問題として認識することを呼びかけました。かねてから、国連事務総長が、「女性を沈黙させ、公共の場から追い出すことで組織的に女性を従属させようとするジェンダーに基づくヘイトスピーチや偽情報」が問題になっているとをしてきしていました。この問題への、打開策として、制度的なアクションを次のように求めました。一つめに、プラットフォームが、制度的な予防手段をとるべきであり、ジェンダーをもとにした暴力、偽情報、ヘイトスピーチ、危害の助長などについて説明責任(アカウンタビリティ)を負うようにすること。二つ目に、UNESCOのデジタルプラットフォーム規制ガイドラインやカナダのオンライン危害法を参考に、独立機関を設置しプラットフォームが規定に準拠した運用をしているか監査すること。三つ目に、人権インパクトアセスメントを実施し、女性やジェンダーマイノリティへのリスク評価を行うこと。そして四つ目に、欧州デジタルサービス法第40条を参照し、違法で有害なコンテンツについて、公益性の点から調査研究し、コンテンツモデレーションの設計・開発・導入の透明性強化を進めること、を提案しています。
国によっていつ、どの程度、そしてどのようにプラットフォームを規制するかがかなり幅があります。IT for Changeのような非営利の調査機関が、資料レビューや調査をもとに、人権や表現の自由を扱う国連関連組織の策定するガイドラインに貢献し、一定の考え方や方向性がまとまっていくのが見える中、日本でもこうした資料を、人権擁護団体などで積極的に参照していけるといいのだけどなぁと、思います。
公益に資するデジタル空間をどう作るか
わたしが、偽誤情報対策と文脈でカギとなる概念だと思っているのが公益という概念のアップデートです。UNESCOが2021年の世界報道の自由の日に公開し、その後11月に193の加盟国が満場一致で採択した「ウィントフック+30宣言」(the Windhoek+30 Declaration)で言及している「information as public goods 情報は公共益である」では、どちらかというと、メディアや報道機関というスコープにどちらかというと限定されますが、世界情報社会フォーラムでも同成果が参照されています。また、国連のグローバルデジタルコンパクトという協定のなかでも"デジタルな公共益 digital pubic goods"という表現をしていますし、AIに対応する教育のオープン化でも、打開策として「digital public goods」という言葉を使っています。2023年のIGFでは、digital public goodsの概念を応用し、デジタルトランスフォーメーションを進めているアフリカのセッションもありました。どのようにデジタルな公共財を定義するか、については、アライアンスが取り組んでおり(そのこともGDCの文脈で言及あり)、プラットフォームの独立性、嫌がらせからの保護、プライバシーやセキュリティ、プライバシー等の法令順守、設計による害の防止、等といった項目が設けられています。
国内規範と管轄権が衝突し、巨大私企業のプラットフォームが優勢となる中で、民主的なプロセスを強化し、権利を守る「公益」をどう優先課題として持ち上げていくのか、注目していきたいと思います。
すでに登録済みの方は こちら